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自分がやりたいと思った方向に進み道を切り開く。 事業も、そして人生も──

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2019年現在、アンカー・ジャパンの事業開発チームで存在感を放つ小林。14歳で単身アメリカに渡ってから現在に至るまで、「自分がやりたいと思う方向に進んできた」という彼が、どのように考え、自らの道を切り開いてきたのか。その想いをご紹介します。

多様な価値観の中で成長したいという思いから、14歳で単身アメリカへ

アンカー・ジャパンの事業開発は、新たなビジネスモデルの構想と実行をミッションに掲げ、既存販路以外での売り上げづくりを幅広く担うチームで、現在は主にBtoBのアライアンス事業と、2018年よりスタートした直営店「Anker Store」のストア事業を手掛けています。小林は現在、このチームの中核メンバーとして、両方の事業を推進しています。

小林 「アライアンス事業とストア事業は方向性の異なるビジネスですが、私が考える事業開発は、会社の成長に必要だけど、まだないものをつくるというイメージ。だからスタートしたばかりの今の段階では、両方とも事業開発で担当しています。アライアンス事業の中で製品開発に絡むプロジェクトを、製品企画から提案、受注、開発、製造、納品まで、一気通貫で見られるところはこの仕事の大きな魅力ですね」

現在は事業開発を手掛ける小林ですが、幼いころからの夢は飛行機のパイロットでした。

文武両道で全国的に有名な私立中学に通っていた際、進学校の横並びの教育に疑問を感じていたという小林。多様な価値観の中で自分を成長させたいという想いから、14歳で単身アメリカへの留学を決意します。

高校、大学の8年間をアメリカで過ごし、大学ではパイロットに必要な航空関連の技術や、航空宇宙工学を専攻。リーマンショックの影響下でパイロットになる夢は断念したものの、飛行機への関心はそのままに航空会社への就職を目指しました。

小林 「採用試験を受けているうちに、航空業界だけではなく、他のビジネスにも興味を持つようになったんです。実は同じころ、アメリカで学んだことを日本の会社で生かしたいという想いも生まれていて。アメリカ留学で、いろんな人や考え方があることを素直に受け止められるようになり、あらためて日本のすばらしさを認識したんですね。気づけば、日本の良さ、とくに技術力を世界に発信したいと考えるようになっていました」

その想いから、卒業後は日系の大手通信機器メーカーに就職。海外経験を生かし、スマートフォンの海外進出を担当する部署で、3年間海外向けスマートフォンの開発に従事しました。

アクセンチュアで学び得た、グローバルビジネスを動かすために必要なスキル

メーカーで3年間過ごした小林ですが、その間に大きなジレンマを感じていたといいます。

小林 「日本企業は高い技術力を持っているのに、それをうまく世界に届けられていないと感じました。簡単に言うと、技術をお金にする力がすごく弱い。そこをなんとかしたいと思うようになったんです。ただ、その想いを形にしようとしたとき、ふと頭をかすめたものがありました。
日本の教育はテストでひとつの回答にきっちりたどり着けるかが重視されますが、アメリカの教育はどちらかというと、問題の本質を理解した上で、自分で解法を考えて表現することが重要。この違いはビジネスの進め方とも重なる部分があるな、と。
言われたことをまじめにミスなくやれば一定の評価を得られる日本と、自分でゴールを設定し、課題から逆算して方策を考え、実行することが求められるアメリカ。グローバルで勝つために何が必要かを考える中で、コンサルティングという立場で俯瞰していろんな会社、ビジネスを見てみようと転職を決めました」

外資系コンサルティングファームのアクセンチュアに転職した小林。日系の大手ファストファッション企業やフランスの化粧品メーカーなど、業種を問わず、グローバルプロジェクトに複数携わりましたが、そのときに役に立ったのも海外での経験でした。

小林 「プロジェクトの中では、クライアント企業において海外のチームと日本のチームのつなぎ役になることが多かったですね。相手のバックグラウンドが違えば価値観も違うので、ずっと日本で育ってきた人だと外国人の考え方が理解できず、どうしても話が噛み合わないこともあるんです。海外経験で得た、相手の考え方やバックグラウンドを意識しながらコミュニケーションを図るというスキルは、相手のニーズを聞き出して、課題を解決するためにとても役立ちました」

自分の強みであるスキルを生かす一方、コンサルタントという仕事を通して得たものも小林にとっては大きいものでした。明確なゴールと期限がある複数のタスクを掛け持ちし、どんな問題や困難があろうともそれをやり切ることを求められるコンサルタントの世界。丁寧に、足場を築きながらプロジェクトが進む日本企業との違いを日々実感する中で、スピード感とタフさが欠けていてはグローバルを舞台にしたビジネスでは勝てないと気づかされました。

小林 「コンサルタントとして働いて得た経験は本当に大きかったですね。最初の日系メーカーから直接アンカー・ジャパンに入っていたら、今つらい想いをしていると思います。指示待ちになっていたでしょうし、考える力やスピードもまったく足りていなかったと思います」

型にハマらず、新たな挑戦をするために選んだアンカー・ジャパン

コンサルタントとして働いて約2年半、グローバルビジネスの現場に学んだ小林に、もう一度事業会社で事業を回してみたいという想いが芽生えます。GAFAに代表されるグローバルビジネスの急先鋒に立つ大企業への転職も考えていたものの、事業が細分化されている環境ではその歯車の一画の景色しか見られないのではという懸念から、今ひとつ転職に踏み込めずにいたころ、ちょうど声を掛けたのが、アンカー・ジャパンでした。

小林 「最初は、モバイルバッテリーをつくっている会社ということぐらいしか知らなかったんです。ただ執行役員の猿渡の話を聞き、プロダクトを見ていくうちに、事業をゼロから立ち上げ、市場に送り出すところまでを一気通貫でできる役割であることがわかったんです。そこがすごく魅力的でした。プランやビジョンの説明を聞いている中で自然に出てきた『全部できる』という言葉が印象的で、自分のやりたいことに出会えたという感じでした」

当時事業開発チームは立ち上がったばかりで、前例も片手で数えられる程度。無限に広がる可能性を前に、自分でアイデアを形にして事業をつくり上げていける挑戦的な環境は、小林にとって魅力的に映りました。そこには以前から抱いていた、起業への想いも重なったといいます。

小林 「ビジネスをつくることで新しい価値が生まれ、お金が生まれる。大学を卒業するころには、いつかそういうしくみをつくりたいという想いを持っていました。日本を出た理由に近いんですが、型にハマりたくないというか、すべてこうあるべきだよねではなくて、こうしたらできるのではというポジティブな発想から、新しい価値をつくりたいという想いを、今でも強く持っています。アンカー・ジャパンは、それができる環境だと思っています」

新しい事業を創出し続けることが自分の役割

現在小林が手掛けているアライアンス事業とストア事業は、いずれもアンカー・ジャパンがこれから伸ばしていこうとしている領域です。

アライアンスのひとつとして進めているのが、大手通信会社などとタッグを組んだ地方自治体の防災関連事業。小林は、これを新しいビジネスモデルとして構築しようと考えています。ある自治体では、通信会社がWi-Fiルーターを導入した施設に、停電時でもWi-Fiが使えるようポータブル電源を合わせて導入し、災害時に住民たちが通信環境を確保できる取り組みを構築しました。

小林 「アンカー・ジャパンをはじめ、アライアンスを組む通信会社や行政には、それぞれの役割と強みがあります。行政には住民の方を守るための施設があり、通信会社には Wi-Fi網など通信が行える環境を整える力がある。そこにアンカー・ジャパンが動力となるバッテリーを提供することで、有事の際でもストレスのない通信環境を実現することができる。三者が一体になって、それぞれの強みを社会貢献に生かすという意味で、良い取り組みだったと思っています」

他の自治体でも、緊急時にスマートフォンをできるだけ早く、多く、回転よく充電したいという要望に対し、自社プロダクトを組み合わせて提案することで期待に応え、ビジネスにうまくつなげています。まだ始まったばかりの事業ですが、小林は実績を重ねることでしっかりと収益に結び付け、新たな価値を生み出そうとしています。

一方のストア事業では、東京の南青山や渋谷、横浜、大阪、博多などに直営店「Anker Store」を出店し、ブランド価値の醸成を図ろうとしています。

小林 「単純に売り上げをつくることだけが目的ではなく、外資系企業だからこそ、ブランド名を冠した直営の実店舗の存在がお客様の安心感につながると思っています。今のアンカー・ジャパンにとっては、まず信頼できる企業であると知っていただくことが大事。モバイルバッテリーといえば Ankerという認知や理解をひとりでも多くの方に広まることを期待しています」

アンカー・ジャパンの未来を担う事業の創出に携わっている小林ですが、小林自身は事業開発チームでこのふたつの事業だけをずっと手掛けていくつもりはないといいます。

小林 「 “事業開発 ”は続けたいと思っています。ただ、アライアンス事業もストア事業も軌道に乗り始め、事業として確立するようになったら、私ではなく、そのフェーズを得意とする人がやればいい。ひとつのビジネスが育てば、また新たなニーズが出てきます。私は、それに応えるものを常に形にし続けていきたいと思っています」

14歳で単身アメリカに渡ったころから、小林が大切にしてきたこと──それは「自分でやりたいことを決め、自らその道を切り開く」ということです。留学も、日系メーカーへの就職も、コンサルタントへの転職も、すべて自分の意思で決め、道を開き、突き進んで今の小林があります。

小林 「何かを始めるときは、周囲の意見に、流されず自分の意思で決めることが大事なんです。今アンカー・ジャパンに来て良かったと思っていますが、自分で選んだからこそ大変なことがあってもがんばることができます。これからもこの姿勢を大切に、新しいビジネスを生み出し続けていきたいと思っています」

小林は間もなく30歳。20代を全力で駆け抜けてきた彼が、30代で何を見せてくれるのか。新たな挑戦に期待が高まります。


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